Chapter-3


 夕方までの勤務の日は、家で夕飯を食べることになる。
 外食をしてもいいのだが、幽霊がぴったりくっ憑いている状態で行くのは気が引けた。見えるのはどうやら憑かれている自分だけのようだが、振りまく冷気を感じる人は多いのだ。

 そういうこともあり、鳥羽は帰りがけにスーパーに寄ったのだが……

「まぁたお弁当?
 飽きないの? 栄養偏ってもしらないわよぉ」
「……うるさいな」

 お惣菜を手に取れば「手抜き」、
 インスタントラーメンの前に立てば「わびしい」、
 パンコーナーに向かえば「夜はやっぱりお米でしょ」――好き勝手言うことこの上ない。

 冷凍食品まで拒否されて、鳥羽はうんざりとため息を吐いた。
 周りの買い物客には聞こえないように、小声で抗議する。

「じゃあ、どうしろって言うんだよ」

 幽霊はしれっと答えた。

「自分で作ればいいのよ」

「そんな面倒なこと……」
「いいからいいから。はい、こっち」
 冷たい手で鳥羽の背中を押し――と言っても力は無く冷たさだけを感じるだけなのだが――幽霊は食材コーナーへ鳥羽を誘導する。

 言われるままに肉やら野菜やらをかごに入れ、レジを通って袋に詰める。久しぶりにまともな買い物だった。



「お塩を一さじ入れて。
 ……違う違う! それはお砂糖よ!」
「わっ…とと。セーフ……」

 幽霊の指示で調理を開始……したのは良いが、始終怒られっぱなしである。しかし、怒っているわりには幽霊は楽しそうに笑っていた。

「いまどきお塩とお砂糖を間違えるなんてベタねー」
「うるさいな! 普段料理しないんだよ!」

 なんだかんだでカレーライス(サラダ付)完成。
 ちゃぶ台が豪華に見えた。……豪華に見えるのはちゃぶ台だけで、周りはいつも通りの万年床なのだが。

「明日お仕事お休みなんでしょ。部屋片付けなさいね」
「はいはい」
 ぞんざいに応対しながら、幽霊のレシピのカレーを口に運んでみる。

「……うまい」

 素直に感想を漏らした鳥羽の言葉に、幽霊がちゃぶ台の向こうから身を乗り出した。
 すうっとした冷気が、鳥羽の顔を冷やす。

「ホント? おいしい?」
 にこにこと聞いてくる幽霊を前に、この冷気にも慣れたな、と鳥羽は思った。最初は不気味でしかたなかったが、慣れてしまえば案外気にならないものだ。

 ……幽霊に慣れるというのもどうかとも思ったが。



 身体が重い……
 鳥羽は目を閉じた状態で、すぐに理解した。

(……またか)

 動かない身体を叱咤し、自分を押さえつける力に対抗する。
 鳥羽が目を開けると、そこには、椅子か何かに腰掛けるように鳥羽の上に座っている幽霊がいた。

「おはよ、運転手さん」
 実に楽しそうに、金縛りの元凶が笑う。

 これはまだ良いほうで、酷い時には悪霊のごとく笑っている顔があったりするのだ。その時は、見ているだけで精気が奪われそうな気になるから恐ろしい。

 寝起きの悪さにうんざりし、鳥羽はため息と共に言った。

「……いい加減、成仏しろよ」
「やーよ」
 と、幽霊。
「あたし、運転手さんのこと気に入ったんだもの」

 それはまた困ったものに好かれたもんだ……自分のことに対し、鳥羽はどことなく客観的に考えた。
 幽霊に一生憑きまとわれるとなると、やっぱり寿命が縮んだりするのだろうか。
 一分一秒を惜しむほど生に執着があるわけではないが、やっぱり明日を拝めぬ身体になるのは嫌だと思う。
 心残りになるものもないんじゃ、死ぬにも死に切れない……

 そこまで考えて、鳥羽は何かが間違っていると気付いた。
 心残りが無いから幽霊になるっていうのはあまりにも哀れすぎるし、そもそも、心残りがあるから現世に留まるというのが幽霊なのだ。

 つまり、心残りがなくなれば幽霊は成仏するということ。

 鳥羽は何故今まで気付かなかったのだろうと自分の馬鹿さ加減に呆れ、同時に、憑きまとう幽霊を成仏させる方法に思い至った自分自身に感謝した。
 善は急げとばかりに、幽霊に問いかける。

「お前の心残りって何なんだ?」
「えっ?」

 幽霊がきょとんとした表情を見せた。

「心残りが無くなれば、成仏するんじゃないのか?」
 鳥羽の意見に、幽霊が「ああ」と手を打つ。
 ……が、次の瞬間、その顔を曇らせた。

「……あたし、自分の心残りがわからないの」

 鳥羽に憑いてから初めて、いつも笑っていた幽霊は沈痛な面持ちをした。
 単に忘れていたのか触れないようにしていたのかはわからないが、幽霊には幽霊なりの苦労があるらしい。

「あたしね、幽霊になる前の記憶が全くないのよ。
 どんな人間だったのかとか、どうして死んだのかとか。
 覚えてるのは、自分がこの服を着てたってことだけ」

 幽霊はそう言って、着ているワンピースを指差した。
 ワンピース越しに、後ろの風景が透けて見える。
 鳥羽は、幽霊の冷たさが増したような気がした。

 語りかけようとして……名前すら知らなかったことに気がつく。

「名前も覚えてないのか?」
「そう」

「じゃあ……『幽子』でどうだ?
 幽霊の『幽』に、子供の『子』。名前が無いと不便だろ」

 唐突な鳥羽の提案に、幽霊――幽子は呆気にとられ……
「どうせなら、優しいの『優』にしてよね」と憤慨(ふんがい)してみせた。
 それから、くすっと笑う。

「ま、いいわ、幽子で。ありがとう、運転手さん」
「鳥羽修一、だよ」

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